9年1組では、平和新聞の発表会が行われました。4人班で1人数分の発表をした後、班で推薦された生徒が、クラス全員の前で語りました。それぞれが感じた平和がクラス全体で共有される素晴らしい時間になりました。
その中で、担任が特に気になる平和新聞がありました。この生徒の平和新聞には平和記念公園で地球星歌をうたったことから、広島で考え感じたこと、そして最後には「自分の生き方が固まってきた」ことまでが書かれています。以下,本人の許諾を得て掲載します。

 

平和記念公園に行って・・・

 平和記念公園についてすぐ、被爆者の遺骨が埋めてある原爆供養塔の前で平和セレモニーを行いました。ただならぬ緊張感のなか練習を積んできた「地球星歌」を披露します。この歌の歌詞と高音部には気持の高ぶりを誘うようなものがあると感じました。そして、実際に目の前に被爆者の方たちがいることをイメージし、直接自分たちの歌声が届くんだと意識して歌うようにしました。その日はよく晴れていて公園から大空まで九年の歌声はつき抜けるように響きました。公園はもしかすると今自分がいる足元で人が死んでいたかもしれない場所で、大空はあの日原爆が爆発した場所です。全ての悲惨の始まりであるこの土地で平和への思いを込めたセレモニーができたことは少しでも未来の平和に貢献できたということだと思います。

 公園内には失われた命を補うかのように。豊かな自然が育ち、人々の憩いの場のような雰囲気でした。また、多くの石碑や施設がある中で、印象に残っているのは原爆ドームです。見ているだけで、息苦しくなっていくような展示がたくさんありました。でも、実行委員長の話にもあったとおり、目をそむけないで学習することで得れた知識は多くなったし、自分の記憶に焼きつけることができたと思います。

 

平和とは

 そもそも、なぜ広島に原爆が落とされたのかというと、アメリカが戦争を終わらせたかったからです。それまで日本には米軍機によって多くの空襲があり、多くの犠牲者・被災者がいました。でも原爆を投下すれば日本が降伏すると思ったのです。何とも残酷なやり方で身勝手だなと思いました。また、戦争の恐ろしさを感じました。しかし、原爆が投下されたことによって戦争は終わったのです。この出来事がなかったら、さらに広範囲で長い間、被害がでていたかもしれません。だとすると、現在の日本にまで、何かしらの影響があるといっても過言ではありません。このように考えると日本は広島に救われたのだと思います。

 また、原爆が落とされたのが広島ではなかったら、と考えてみました。広島が原爆の目標都市として選ばれたのは、いくつかの条件を満たしていたからです。その中には、8月6日に晴れていたというものもあり、あまりにも悲しい運命だと感じました。しかしこのことは、広島でなかった可能性も十分に高いことも意味しています。

 原爆の被害は甚大なもので、爆発した瞬間に亡くなった人や、後障害で苦しんだ人など、多くの被害者がいます。大事なのはこれをただの事実として受け止めるのではなく、平和の起点として受け継いでいくことだと思います。平和記念像に「安らかに眠ってください,過ちはくりかえしませんから」という言葉がありました。私たちには二度と戦争のような過ちを起こさないという責任があります。また,一人一人が今自分が感じる平和に感謝しなければならないと感じました。

 

編集後記

 この平和新聞を書くにあたって,今まで書いてきた修学旅行の感想文や歴史新聞とは事の重大さが全然違って、最初はなかなか,シャーペンが進みませんでした。しかし、じっくり文をつくっていくと、頭の中でもやもやしていた広島で生まれた思いや考えがまとまってきて、これからの自分の生き方が固まったと思います。

 

 

 

 

平和の起点として受け継ぐ